2019年9月9日月曜日
2019年3月30日土曜日
パラサイト・イヴ:21周年
#パラサイト・イヴ 今日で21周年。初のPS、初の3D、3Dアーティストがまだ少なかった当時ハリウッドのCGスタッフとの現地開発と初めてづくしで大変でしたが、ディレクターとして大きな自信をつけてくれた作品。ビザ取りに一時帰国したらFF7のラスト3ヶ月ヘルプに駆り出されたのも良い思い出。 https://t.co/fN4pztBPpi— 時田 貴司 (@Takashi_Tokita) March 30, 2019
FF9作りに行ったら、先にパラサイトイヴを完成させろ、となり、ムービーやらイベントやら作ったりしました。時田さんと、アロハタワーにあがる花火見ながら、会議室で年越しそば食べた大晦日のオアフ島でしたw— 百瀬 季之 (@ice_g3) March 30, 2019
2019年2月23日土曜日
STUDIO DEWS
バンプレストには昔STUDIO DEWSというエイリアスを使ってた国内でも最古に視界CGスタジオがありました。
— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) February 23, 2019
まだ、WINDOWSも無い頃です。
僕が最初にCGと触れ合ったのもそこでした。
彼らはその後バンプレでチョコボのゲーム開発を委託させてもらう代わりにスクウェアにFF7開発のために出向したのです。
チョコボのキャラを借りてチョコボの不思議なダンジョンてゲームをバンプレの社内開発を開始。その頃チョコボのデザインを担当したのがスクエニで偉い人になった板鼻君でした。
— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) February 23, 2019
まあ、DEWSも板鼻君も全員スクウェアに出向したきりバンプレには戻りませんでした。そして全員でハワイに引っ越すのです。
2018年5月16日水曜日
ホノルル:サーバ
サマーウォーズのサーバー搬入のとこ見ると、毎度思い出すのがスクウェアホノルルの出来事。— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) 2015年7月3日
レンダーサーバーが搬入出来なくてヘリコプターで高層ビルに入れた。
床も重さに耐えられなくて鉄骨も一緒にヘリで入れたっけな。
たしか、42階。
ホノルルスクウェアの時のサーバの名前はガイアだったかな。ガイアだよね?— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) 2017年8月11日
ホノルルで作ってたレンダラーてなんだっけ。、ヒマラヤて頭に浮かんだけど違う。キラウエアだ。
— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) September 6, 2015
勿体無かったな、あれ。
2018年5月6日日曜日
ホノルル
スクウェアUSAは楽しかったなあ。
— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) September 20, 2019
CG屋としてあの空気をホノルルで4年も体験できたのはいい思い出だ。 pic.twitter.com/fn22kMfbwH
スクエニハワイに勤めてた一部の人向けの話題。あのパンヤさんの現在 pic.twitter.com/gOjm4ms04e— コバトン松村 (@machan) 2016年1月18日
ワシ、ハワイスクウェアの元社員。初任給で年収997万円。— 柳沼和良 (@yaginuma_san) 2017年5月28日
懐かしい物も出てきた。シリアルナンバー入りのスクウェア・タイムズ。金田さんとヤギーの写真。2人とも海に車にとハワイを満喫してました。悪いの自分のも。 pic.twitter.com/uChRTE2qxe— 上妻晋作 S Kozuma (@kozuma_) 2018年1月4日
ホノルルのアロハタワーにあるフーターズには何度か行った。金田さんが好きな場所でw— 上妻晋作 S Kozuma (@kozuma_) 2018年1月5日
最初ランチタイムに10人位徒党を組み、金田さんがニコニコ嬉しそうだった。その後もヤギー、大久保くん達と通っていたようだ。
キャメロン監督はホノルルの時も見学に来てたし、日本人の作るフルCGの感じが好きなのかもね。
— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) 2013年9月13日
マトリックス続編には参加ならずでアニマトリックスをスタジオで作ることになって、その後ハリウッド版サンダーバードのプリプロをやってた思い出のホノルルスタジオ。
— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) 2015年8月15日
ホノルルスタジオ解散の時記念にTシャツ作ろうとして描いた絵
— 㠶足タケヒコ (@AItoiI) November 10, 2015
なにもかもがなつかしいい。 pic.twitter.com/rCfTuw0KaY
1998年10月にハワイに赴任した頃にちょうどシャトルで宇宙に行っててニュースで盛り上がってたなぁ | 米宇宙飛行士のジョン・グレンさん死去 | NHKニュース https://t.co/zqoxGIktRd
— コバトン松村 (@machan) 2016年12月9日
1999年頃の写真。サウス・キング・ストリートのガスステーションで給油した時、道路を挟んで向かいの建物がシネラマである事に気付きデジカメで撮影。ホノルルスタジオ滞在時「Hawaii Cinerama」というシネラマがホノルルには存在していたんだねぇ…気付いた時は既に閉館…
— 𝖸𝗈𝗌𝗁𝗂𝗁𝗂𝗋𝗈 𝖪𝗂𝗍𝖺𝗇𝗈 (@TolucaTropics) June 10, 2018
今となれば貴重な記録だ。 pic.twitter.com/4gdAqva4xu
2014年3月29日土曜日
2012年9月2日日曜日
2006年10月2日月曜日
2002年8月24日土曜日
ドリマガ 2002年9月6日号
作品:
形式:インタビュー
人物:
・橋本真司
(株)スクウェア 業務執行役員 宣伝・営業担当
1958年(昭和33年)5月24日生まれ。1994年(平成7年)4月1日にスクウェアに入社。スクウェア関連会社の責任者を務め、今年3月までは主に開発サイドにて、プロデュース業をこなす。スクウェアでの最初の仕事は「フロントミッション」(スーパーファミコン/’95年2月24日発売)。以降、「FFVII」で宣伝プロデューサーを務めたのち、宣伝・販売推進・ライセンス事業・営業企画など対外交渉も含めた業務を担当。現在はスクウェアの業務執行役員。今までにも多くの作品に参加したが、最近では「キングダムハーツ」のプロデュース業も務め、ヒットをさせた経歴を持つ。
PICKUP:
・開発を統括していた坂口が退社し、新しい体制を模索していた。
・試験的には昨年(2001年)の秋から今の事業部制的な形で開発を進め、正式には今年(2002年)の4月1日から新しい”事業部制”が始まった。
・かつての「プロダクション制」に近い形だが、プロジェクトの最初から最後までがちゃんとわかるようにしようという点が違う。
・事業部で区切られているが、コストと技術共有の面から人員はケースバイケースで流動的に動かしていく。
・第1事業部 事業部長は北瀬佳範。第2事業部 事業部長は河津秋敏。第3事業部 事業部長は田中弘道、副事業部長は石井浩一。第4事業部 事業部長は松野泰己。第5事業部 事業部長は平田裕介。石井は8月1日に新設された第8事業部部長を兼任。
・ホノルルで開発されたCGの最新技術は、そのまま東京にメンバーとともに継承している。
2002年5月17日金曜日
2002年2月3日日曜日
2001年10月1日月曜日
CG WORLD & DIGITAL VIDEO vol.38
p68〜69
共同監督榊原幹典氏に聞く映画ファイナルファンタジー 、そのプロジェクトの全貌
p70〜71
多くの工夫が凝らされた、巨大キャプチャスタジオの真髄
p72〜77
ファイナルファンタジーを作った男たち
p78
Final Gather + Photon Mapの並列レイトレーサKilauea
p79
5つのユニットからなる大規模レンダリングファームGAIA
p80〜83
ゲームムービーの最先端を走り続けるFFX
p84〜85
FFXに参加したCGプロダクション
2001年8月1日水曜日
CG WORLD & DIGITAL VIDEO vol.36
メガヒットゲームの名を冠した映画、ついに公開へ!
ファイナルファンタジー
・ホノルルに22か国から200人あまりを集め、97年5月にスタジオをオープン。
・開発ソフトはMAYAとレンダーマンをベースにらいくつかの独自ソフト
・クロスシミュレーションは安定性の問題から社内開発
・同時にオリジナルレンダラ「キラウエア」を開発。コンセプトは「まっとうなレンダラ」
・モーションキャプチャはダイヤモンドヘッドに世界最大規模のキャプチャスタジオを用意。
・VFXの爆発や炎も、一般的な実写映像の合成ではなく、フルCG
・コロンビアから、あと3本共同製作する話を貰っている。資本回収を考えるとフォトリアル路線でいくのが一番良いと考えている
2001年7月11日水曜日
2001年2月12日月曜日
2000年7月7日金曜日
2000年2月28日月曜日
1998年8月1日土曜日
1998年7月30日木曜日
1998年3月20日金曜日
ファミ通 1998.4.10号
作品:パラサイト・イヴ
形式:インタビュー
人物:
・坂口博信
スクウェア代表取締役。『FF』シリーズの生みの親だ。
・野村哲也
最近いちばんお気に入りのゲームは『ロックマンDASH』だとか。
PICKUP:
・ホノルルには30人くらいの研究開発チームがある。髪とかシワとか群衆とか。
・(坂口)影響されてもいやだったので、映画は見てない。
・主人公の名前の由来は、坂口の娘のアヤちゃん。本人の写真掲載。
・ロサンゼルスの滞在について(野村)最初週1ペースで、秋ごろに3ヶ月間。
・野村は途中参加だったため、キャラの設定とかが全部決まっている状態だった。
・野村は去年の夏まではおっぱいは大きい方が好きだった。