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2016年12月17日土曜日

日本ゲーム産業史 ゲームソフトの巨人たち

発行:2016年12月20日発行
著作:日経BP社ゲーム産業取材班

・坂口がRPGを作りたいと言っていたが、会社からなかなかゴーサインが出なかった。
・FF1はリーダー坂口以下4、5人のプログラマーとデザイナー2人で開発が始まった。
・開発期間はおよそ半年。1987年9月に完成し、御徒町に移転してデバッグ。
・納品する段階でバグが見つかり、完成慰労のグアム旅行帰りの人含むスクウェアスタッフ総出で3日かけて注意書きの紙を入れる作業を行った。
・FF3までは会社に泊まり込んで作業することはなかったが、FF4から普通に泊まり込むようになった。
・FFにはマスターアップ 直前に開発スタッフ全員でラスボスを倒すのを見守る儀式がある。FF6のときは大雪の日の夜中だった。
・FFらしさ
松井聡彦:最高のRPGを作りましょうというスピリッツで作るもの
北瀬佳範:チョコボや黒魔道士、白魔道士が出てきて、あとは作り手が思いっきり自由に思いの丈をぶうければ、それで『FF』


2000年12月15日金曜日

ゲーム・マエストロ VOL.1 プロデューサー/ディレクター編(1)>坂口博信

p159〜186
坂口博信

・大学3年になった春休み、田中と2人でバイトしようと読んだ就職情報誌にスクウェアが載っていた。春休みだけのつもりで応募。
・横浜日吉の2DKのマンション。入ってすぐ1作目が途中で潰れる。
・デストラップ。プログラム半分、シナリオ、絵1/4、効果音も担当。
・キングスナイト。個人的には不本意作。
・最後に何か一本作って大学に戻ろうと思っていたら、DQが発売。RPGが作れるなと、最後のゲームのつもりで、FFを作り始める。
・FF3からキャラの動きを制御するエンジンを用意してもらった。FFはその演技プログラムの発展の歴史。今、社内では「エーテル」と呼ばれている。
・植松伸夫。最初ボツと突き返したが、曲順を替えただけで良くなったと言ってしまった話。
・ナーシャ。バグが出た時に国際電話で連絡すると、口頭で直し方を言われた話。
・FFの開発、最初は4人


2000年7月10日月曜日

ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち

p203〜216
第14章 "最後の夢(ファイナルファンタジー)"に託された社運と人生

・鈴木尚の光栄時代のエピソード
・スクウェア創業直後からFF1発売までのエピソード


p217〜230
第15章 任天堂に乗るか、プレステか?運命を分ける陣営

・スクウェアのPS参入の開発面・経営面のエピソード

2000年5月1日月曜日

ゲームの巨人語録 岡本吉起と12人のゲームクリエイター

p43 坂口博信
電撃王1998年6月号に加筆修正

・ロスで行われた船上ホームパーティーがきっかけでロススタジオを設立。
・2年後の映画がうまくできてゲームも軌道にのったら、映画を2ライン、ゲームを5ライン化しようと言っている
・ディレクター経験のないスタッフを中心とした2億円くらいの低予算ラインが40ラインくらいある。人を育てるために、去年の夏くらいからみんなで話あってやることになった
・パラサイト・イヴのストーリーのアウトラインを坂口が作ったが、主人公の名前が浮かばなくて自分の娘の名前を付けた。ダニエルはアートディレクターの、前田は宣伝プロデューサーの名前から。誰かが変えると思っていたがそのままになった

1990年5月20日日曜日

パソコンゲーム80年代記

p31
スクウェア

・人集めのため最新コンピュータを自由に使える会員制サロンを作り、その半年後の84年春にその中のメンバーと公募したスタッフの計10人でソフト開発を開始
・ファミコンより前のソフトは1~3万ほど売れた
・ファミコンの『テグザー』『キングスナイト』は30万本売れた
・これからは"遊び"を題材にした総合アミューズメントメーカーを目指す。そこでいまスタジオを作ろうとしている