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2000年12月15日金曜日

ゲーム・マエストロ VOL.1 プロデューサー/ディレクター編(1)>坂口博信

p159〜186
坂口博信

・大学3年になった春休み、田中と2人でバイトしようと読んだ就職情報誌にスクウェアが載っていた。春休みだけのつもりで応募。
・横浜日吉の2DKのマンション。入ってすぐ1作目が途中で潰れる。
・デストラップ。プログラム半分、シナリオ、絵1/4、効果音も担当。
・キングスナイト。個人的には不本意作。
・最後に何か一本作って大学に戻ろうと思っていたら、DQが発売。RPGが作れるなと、最後のゲームのつもりで、FFを作り始める。
・FF3からキャラの動きを制御するエンジンを用意してもらった。FFはその演技プログラムの発展の歴史。今、社内では「エーテル」と呼ばれている。
・植松伸夫。最初ボツと突き返したが、曲順を替えただけで良くなったと言ってしまった話。
・ナーシャ。バグが出た時に国際電話で連絡すると、口頭で直し方を言われた話。
・FFの開発、最初は4人


2000年8月30日水曜日

ワンダースワンカラー発表会

WonderSwan新ハード発表会に潜入!レポート  
https://web.archive.org/web/20010703102725fw_/http://www.swan.channel.or.jp/swan/info/pr/pr000830.html

ワンダースワンカラー発表会の総リポート
https://web.archive.org/web/20010111103300/http://www.famitsu.com/game/daily/2000/m08/d30/n06.html

スクウェア「ファイナルファンタジー」をワンダースワンカラーで発売
https://web.archive.org/web/20030201223803/http://www.mainichi.co.jp/life/hobby/game/news/news/past/200008/20000830_03.html

バンダイ、カラー対応の携帯ゲーム機『ワンダースワンカラー』を6800円で12月上旬発売――ファイナルファンタジー同梱版は9999円
https://ascii.jp/elem/000/000/316/316648/amp/

1998年10月30日金曜日

季刊ゲークラ 1998Auterm

特集 2003年のスクウェア
p14-18
坂口博信 株式会社スクウェア代表取締役副社長
・「ウィル」では圧縮専門のプログラマーが1人いて、瞬間描画がウリになっていた。そのルーチンを改良してアニメーションにしたのが「ブラスティー」
・マンションの一室にこもって、サークル活動をしているようなノリで次々とゲームを作っていた。
・当時、BPS・ファルコム・ゲームアーツは社長同士の仲が良く、ファミコン版「テグザー」はスクウェアでやることに。
・思ったようなゲームが作れず不満が溜まっていてFFを作ったらゲーム業界を辞めようと思っていて、「ファイナルファンタジー」というタイトルにした。
・FF1はプログラマー3人、企画4人、絵描き4〜5人+お手伝い。だいたいメイン12〜13人で作った。
・FF2、戦闘システムは河津の発案。マスターを入れるというのにいつまでもモンスターのデータをいじっているのでケンカになったことも。
・FF3の戦闘シーンは坂口と青木が担当。青木がヘビースモーカーで、タバコのヤニでハードディスクがクラッシュしたことも。
・FF3では簡易言語でキャラクターの動きを制御するシステムを作った。
・3まではイベントをつなげてストーリーを作ったが、色数が増えたりプログラムの容量が増したFF4ではキャラクターからゲームを作ってみた
・FF5のイベントは坂口と北瀬で担当。このころ社内にネットワークを引いて、情報共有化
・FF6ではスプライトのプログラムを大幅に作り直し、グラフィックを進化させた
・95年に一年かけて、シリコンフラフィックスのマシンで戦闘シーンだけを作った
・FF7で坂口は最初のほうはゲームのアウトラインや戦闘システムを考えたりしたが、開発しやすい環境作りを担当し、最終的には北瀬にディレクションをまかせて、ほとんど手はうごかしていない。

p26−29
武市智行 株式会社スクウェア代表取締役社長
・スクウェアの人事評価は「公正・公平・公開性」
・クリエイティブな働き方について労働省に相談しにいったら裁量労働制を教えてもらい採用
・インセンティブボーナスは、元々の発想はプロ野球の年俸制。販売本数や収益にインセンティブを連動させたかった
・5年後のスクウェア。世界のインタラクティブコンテンツにおいて98年3月期で9%のシェアだったのを、世界メジャーを目指して15%まであげたい。
・もう1つの目標は、CGにおいて世界で競争力のある映像を作ることのできるメーカーになること

p32-35
鈴木尚 株式会社デジキューブ代表取締役社長
・開発者が必死に作ったゲームを1本でも多く売りたいという思いがあったが、任天堂マーケットではいろんな問屋制度や習慣があって思うように進めめることができなかった。
・そこでハードをプレイステーションに移すことと、子会社で新しい流通を切り開くことを選択した。
・プレイステーションでゲーム作りたいと言い出したのは坂口。最初にFF7のオープニングムービーを見たときは、こいつが味方でよかったと思った。
・「牌神」や「パワーステークス」はデジキューブが企画・製作。デジキューブはソフトメーカになってはいけないという鈴木の信条で、発売がスクウェアで、デジキューブに卸すという段取りを経ている。
・販売している音楽CDは今は20タイトルくらいだが、5年後には数万タイトルから選べるような販売をしているはず。
・ゲームの最大のライバルは携帯電話。携帯電話に勝てる端末を作りたい。

p36
ゲームユーザ100人アンケート
FF7クリアした?
・クリアした・・・63人 ・クリアしてない・・・10人 プレイしていない・・・27人
好きなスクウェアのゲームは?
FFシリーズ・・・63% サガシリーズ・・・12% ゼノギアス・・・7% 特になし・・・6% 聖剣伝説・・・5%

p46-48
坂口博信
・1月のうち3週間ハワイ1週間日本という生活。ハワイでは手を動かし、日本では口を動かす。
・今から5年10年経てばフルCG映画と同じデータをゲーム画面上で自在に動かせる状況になるので、今のうちにCG能力値をあげておきたい。その一環としてフルCG映画を作っている。
・未来のスクウェア。ジャンルや方向性は決め込まないで、面白くて新しいゲームがどんどん出る”おもちゃのカンヅメ”のようなソフトメーカーになっていけたらいいと思っている

p56-58
植松伸夫 田中公平 対談
・会うのは初めて。昔、『宇宙英雄物語』の仕事をお願いしたが、FF6が忙しくて断られた。
・スクウェアではストーリーの設定があって曲を書くことも、曲があってストーリーに活かしてもらうことも両方ある。家内制手工業の強み。




1998年4月1日水曜日

じゅげむ 1998.5

P13
坂口博信
インタビュー

 ・入った頃のスクウェアは社員が6人
・自分の中で思い出に残っているのはFF3と5
・「ゲームと映画の融合」を打ち上げたが、最初は明確な形があったわけでない
・将来的にはゲームの進化系。今あるゲームのそれぞれのジャンルの次の姿を提示したい

1991年10月25日金曜日

ファミコン通信 1991年11月8日号

FF4
ページ:114
形式:インタビュー
人物:
・坂口博信
チーフディレクター

PICKUP:
・(坂口)『I』は最後まで参加してデータを作り、『II』『III』はおもに戦闘以外をやりました。『IV』では、全体のコンセプトとあとはディレクション
・FFが影響を受けたといえるのは『ウィザードリィ』とか『ウルティマ』。
・(『I』について)デザインを天野さんにお願いすることに決まったあとでストーリーが固まっていった。
・開発で一番の苦労するのは新しいシステムの部分。アクティブタイムバトルも最初のモニターでは最低の評価しかでてこなかった。

1991年8月1日木曜日

1991年7月4日木曜日

HIPPON SUPER 1991年8月号

FF4
ページ:4-7
人物
・坂口博信
FFシリーズディレクター
スクウェア設立時よりアルバイトで製作参加し、同社の数多くのソフトにおいて、ゲームデザイナー、プログラマ、ディレクター等を務める。現在、(株)スクウェア・代表取締役副社長。FC、SFCの世界では、ファイナルファンタジーシリーズのゲームデザイナー、総合ディレクターとして知られる。
形式:インタビュー

PICKUP:
・新しいシステムで、前作と別の面白さを作っていこう。というのが初期コンセプト。
・今回はプログラムがナーシャではなく、内部のスタッフ。
・FC版FF4は初期コンセプトだけ作った時点でストップ。シナリオも完成していなかった。聖剣伝説になったという噂もあったが、真っ赤な嘘。
・去年の5月に開発スタート。6月に坂口が結婚し1ヵ月遊んで、7月旅行、8月盆休みで、本腰を入れたのは9月。実質開発9ヵ月。後半4ヵ月くらいはほとんど家に帰っていない。
・初期コンセプトやシナリオは5月の時点で完成。
・今回の容量 プログラムはそんなに変わらない。音は5倍。絵は倍くらい。
・マップ上でのキャラクターのアニメーションについては、最初からやりたかった。
・1でクラスチェンジして3頭身になるのは、ものすごく不評だった。
・セシル、最初はワールドマップ上でも仮面を被ってた。
・1~4までの坂口の役割。1:ナーシャと一緒にデータ構造を考えたり。2:シナリオの落とし込み、各イベントを考える作業だけ。3:2とほぼ同じ。4:ディレクター。シナリオには多少タッチ。
・はじめて作ったRPGはブラスティー。デモだけすごい、浅はかな企画だった。
・今回の売りはアクティブ・タイム・バトル。最初作ったのがつまらなく、4,5回作り直した。
・次回作はまだチームもできてない状態。別チームで1本動いているのがある。

1991年1月11日金曜日

ファミコン通信 1991年1月25日/2月8日号

ページ:206-208
作品:ファイナルファンタジー4
形式:座談会
人物:
・坂口博信
(株)スクウェア、取締役開発部長、坂口博信。
「今度も驚かせますからね」
・平田裕介
(株)スクウェア、広報部マネージャー、平田裕介。
「フカヒレまだですか?」
・石田裕美子
(株)スクウェア、営業部 石田裕美子。
「TOP30の1位をめざしてます!」
・植松伸夫
(株)スクウェア、開発部マネージャー、植松伸夫。
「音楽も聞かせますよ!」


PICKUP:
※FC版開発中止前なので記事中全てFF5で記載
・FF3の最後のダンジョンは難しすぎるという苦情が多かった。FF5ではダンジョンの中でセーブできるようにするつもり。
・FF3も100%の人にクリアーしてもらえるつもりで作った。モニターとして遊ぶ子供が揃わず、同じ子供が何回もバグ出しをする格好になり、そばで見ているとあまりにも簡単にいくので、最初はあった暗闇の世界に入ってからもHP/MPが回復できる場所もカットしてしまった。
・FF2はテストプレイしてくれる子供たちがぜんぜん集まらず、更にチューニングがうまくいかなかった。
・FF2のジェイドとパンデモニウムは2つのダンジョンがくっついてできた。
・FF1について社内でも1・2・3の中で一番好きという声が高い。
・FF5のストーリーは2に近い。ひとりひとりが個性を持っていて、それぞれのメンバーがストーリーに関わってくるようなかんじ。
・主人公は最初からある程度の力を持っていて、最初のころの戦闘は相手が弱すぎるチューニングにしてある。
・FF3でインビンシブルのスピードが遅すぎるという声は結構あった。
・空が飛べる黒××××を入れようと思っている。
・今回はエンディングをきちんと作る。まだ企画はできてない。だいたい終わる2ヶ月ぐらい前から作り始める。
・最初はやめようかと思っていたけど、今回もクリスタルは登場。ジョブチェンジは廃止。
・今回の一番のウリモノは戦闘。